日記・コラム・つぶやき

2014年6月30日 (月)

大槌町の今

「募金したんだ。阪神の時も、中越の時も。でも気持ちん中では、募金して、私にできることはやったし、それで終わりだど思ってた。そったら自分たちが被災して、ぜーんぶ流されて。。。外国や日本中からこんなたっくさんの人達来てくれて、本当にびっくりした。。たっくさんのこと支援していただいて、本当ありがたかった。。。仮設住宅の生活に落ち着いた今、思うのは、あん時(阪神、中越)の自分はやっぱりどこかしら無関心だったってこと。募金したから終わりでねく、本当に被災した人達のことを想像して思いやってたかってことだなあ。無関心は、本当にダメだな。。今わかる。そして、応援していただいた人達への感謝だな。これも今だから身にしみる。全国のみなさんに伝えてください。ありがとう。って。」

大槌のおばあちゃん。抱きしめたくなるような、かわいいおばあちゃんでしたが、言葉は大きくて深かったです。

大槌町には20〜250世帯の仮設団地が約50カ所あります。今回は4日間かけて、その中のご縁のあった仮設団地に7カ所、復興住宅1カ所に訪問させていただきました。

「昭和歌謡と健康体操」をテーマに。
昭和歌謡 〜 健康体操 〜 一緒に歌おう 〜 お茶っこ(お茶会)
をひとつの流れとして、約2時間で。

遠野市を起点に片道40キロ山道を走って沿岸部の大槌町仮設住宅へ。

仮設団地の集会所にて準備。どこの場所でも挨拶を交わすと「おつかれさまです〜。」と東北なまりで温かく声をかけてくれます。

集まられる方は1カ所あたり10〜15名。50〜80代の女性が中心。男性もちらほら。

若い世代や経済的に余裕のある方々、他の土地に縁故がある方々は、仮設住宅を転居して新たな生活を始められている方が多いです。
つまり、震災から3年以上過ぎた今、仮設住宅で生活されている方は、ご高齢の方であったり、経済的に余裕がなかったり、生活の先の見通しが利かない方の割合が増えてきているということ。仮設住宅は壁が薄いため、自然と声も萎縮し、出歩くような街の施設や機能が不足しているため、運動不足に。

それでテーマが「昭和歌謡と健康体操」となっています。

最初は、知っている歌を小さな声で口ずさむ程度ですが、体操が終わって、「一緒に歌いましょうコーナー」まで来ると、かなり大きな声での大合唱になります。
歌とおしゃべりで、笑って、泣いて。
芸達者が多くいらっしゃる場所では、逆に体操や踊りを教えてもらったりして、充実した時間になりました。

来ていただいた方々の来た時と帰る時の表情、声、姿勢の違いをはっきりと感じることができ、一定の目標は達成できたと感じました。

【被災者】
・仮設住宅の生活にも慣れ、コミュニティが形成され、明るい方の割合が増えているように感じる。
・復興住宅の建設の遅れで、最長8年仮設住宅での生活が続くという見通しも出ている中、不安やあきらめを感じておられる方が多い。
・復興住宅に移れば家賃も生じるし、近隣住民とのコミュニティ形成にまた新たな時間と労力を要することから、今のまま、楽しい仲間がいる仮設住宅での生活を希望される高齢者も増えてきている。(ずっと仮設で生活することは不可能なことを理解した上で、自分の余命と復興住宅の完成の時期をてんびんに掛けるかのような言葉。)
・被災者の就労意欲の低下が新たな問題として浮上。雇用創出ということで大手スーパーなど建設されるも、スタッフ募集に地元の応募が少ない。支援を受ける生活から自立する生活への切り替えが困難な方も増えている。就労支援のためには雇用枠を創出するだけでなく、労働意欲の動機付けや新たな生活(復興住宅の完成など)への見通しが立つ状況になることが同時に求められているように感じる。

【漁業関係者】
・養殖設備なども復旧し、昨年から事業を再開できたが、再開をあきらめてしまった人の方が圧倒的に多い。現在、販路拡大が課題。大槌町漁協が2012年に一度破綻していることや、大槌町役場の職員も約半数が他自治体の応援職員ということで、現状では自分たちで切り開いて行くしかない状況。今は利益がない状態だが、将来に向けて続けていく。

【地権者】
・仮設住宅建設のため2年の契約で町に貸した。固定資産税よりも安い賃料で。ところが3年目に入っても復興住宅が出来ていないため、土地を貸し続けなければならない状態で、元々この土地に予定していた計画も変更しなければならない状態。復興のため!と地元を思って貸したが、想いは複雑。。人が住んで生活しているので、どうにも仕方ない。。

【支援者】
・3年という区切りで被災地を離れた方が多い。
・支援事業に対する助成金制度なども縮小されているため、地元に残っている支援者は、支援の継続のため地元に就職された方も多い。

【沿岸部】
・釜石市鵜住居地区の「防災センター」は解体撤去され、「大槌町役場」も半分は解体されていた。被災の象徴的建物は少なくなっている。(被災者の心情的に、なくして欲しいという意見が圧倒的なため。)
・雑草が生い茂った草原のようにも見える沿岸部に、盛り土のための土砂が山のように積まれている。半年前とあまり変化があるようには見えず、土地全体の盛り土処理はまだまだ時間がかかるように感じられる。
・漁業設備や漁船など、来る度に、整ってきており、復興が一歩ずつ進んでいることが感じられる。

【復興住宅/民間アパート】
・仮設住宅のような長屋形式のものだが、瓦屋根で、壁は厚く、2階建てもある等、作りがしっかりしている。家族の人数によって、1DK〜4LDKの様々な間取りがあり、複数棟ある。
・仮設住宅の近隣には民間のアパート建設も進んでおり、復興住宅の完成を待てない人など移り住むケースが増えている。

今回は被災者だけでなく、漁業関係者や地権者とも話ができて、いろんな角度から大槌町の今を見ることができました。

産業が少しずつ復興に向かっているので、いよいよ本格的に買い物でも復興の手助けが出来る時期になっています。できることからコツコツと。

僕もこれからも音楽を通して、小さくても、できることを続けていけたら、と思います。

長文読んでいただきありがとうございました。
またレポートしたいと思います。

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最初は懐かしの昭和歌謡を、座って聴いていただいて。。。
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体操が終わったら、逆に踊りを教えてもらったり。
これは大槌漁場音頭(笑)
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大槌湾ほたて養殖組合の皆様。大槌のほたて、最高にうまいです!
ひょうたん島が見えるこの小屋でも、「ひょっこりひょうたん島ライブ」してきました〜♪

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2013年3月11日 (月)

寄り添い続けること

今日は祈ろう。

被災地への想いが、何故こんなに強いのか。
何で?と問われることがあるけど、よくわからない。
ひとつだけ言えるのは、自分にとって、他人事ではない。としか思えないこと。
いくつかの喪失経験が、強烈に自分にそう思わせているのかもしれない。

最愛の家族の急逝。
親友の急逝。漁船が沈没し、行方不明のまま、もう4年前。。

自己防衛のために現実を受け入れようとしない、心が麻痺する感覚。
時が経つにつれ、実感と痛みを伴ってやってくる怒り、悲しみ。
最後には、悲しむエネルギーさえ尽きてしまう、喪失感、虚脱感。

そんなときに気付いたのは、
同じ悲しみの中にいる人達と共に生きていること。
そんなときに励まされたのは、
周りの人の心の温かさ。

周りを見渡すと、何はできずとも、声にならずとも、一緒にその悲しみを乗り越えようとする人の姿があって、その姿に励まされた。

懸命な姿や、真心からの同情、何をしていいかわからないでまごまごしてても何かしてあげたいやさしさがにじみ出ている姿、、、そんな人の姿・心が、人を癒すんだな。と思った。

愛する人の突然の死、というものは、人生の中で最大の痛みを伴うもの。最愛の人々に加え、思い出の故郷や生活そのものまで失った東北の方々は、やっとやっとの思いで心のバランスをとって今まで来られている。

心の傷が、いつ癒えた。なんてわかる人はいない。
ほとんどの人は心に傷を持ったまま、「もう、大丈夫だ!」と半ば無理に自分に言い聞かせ、その傷を自分の一部として、生きていくんだと思う。

震災は、ある意味日本全体が心の傷をおった。
一緒に悲しみを乗り越えようとする人の姿こそ、悲しみの中の人を励ます。とすれば、自分達日本人にできることはまだまだある。と思う。

これからもずっと被災地を忘れずに。

今日は祈ろう。

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2012年9月20日 (木)

ある星の話

地球から星を見たとき、その星に国境が見える人はいるだろうか。

地球を、宇宙から見たとき、国境は見えるだろうか。
日付変更線は見えるだろうか。
赤道は見えるだろうか。
地軸は見えるだろうか。
北極は上で南極は下に見えるだろうか。
見慣れた地図のように、自分の出身地は中心に見えるだろうか。

人間の概念が勝手に決めたこと。

人間は、征服欲や独占欲を、コントロールできるのか。
国益という名の下に、どれだけの平和が侵され、犠牲が払われているのか。

領地問題がある地域は、地球に還したらいい。
地球のための土地にすればいい。
領地問題が無くても、地球に還したらいい。
自然も動物も、人間以外の存在は、全て喜ぶだろう。
人間が勝手に決める国境という見えない線があるとしたら、それを線ではなく、幅数百キロの帯として、地球に還す地域にしたらいい。
グレーゾーンなんて暗い地域ではなく、自然豊かな地球ゾーン。
人間も、海も、緑も、動物も、地球も、生き返る。

国連は、その地域の保全のために存在するくらいの組織になっていくといい。

人間の存在に希望を見出せても、人間の我欲に未来は見出せない。

地球のものである絶海の孤島が、人間の我欲によって、誰のものと話していることを聞いて、絶海の孤島と全く違う空間で生活している人間が腹を立て、ののしり合う。

何が起こっているのだろう。

今、住んでいる土地、空気、食べ物、、、自分の身体さえ、全てが地球からの借り物なのに。

地球からのメッセージは、すでにたくさん届けられているはず。

自然の声に耳を傾け、共生を考え続ける謙虚な姿こそ、地球に存在させていただいている、人間の本当の姿なのではないか。

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2012年4月14日 (土)

死してなお

今日は特別な日だ。

親友が陸から海へ、海から空へ旅立って、3年が経った。

港に入れば、このブログに、無事の報告と応援の言葉を残してくれた。

ギター弾いて、瞑想状態に入ると、故人に会える。

今日も、会えた。

死してなお、家族やお世話になった人や自分を応援してくれている友人の姿が見える。

あいかわらず、やさしかな。

肉体死すとも 魂死せず。

たくさんのこと、教えてくれて、ありがとう。

あの世でうまい酒が飲めるよう、あと何十年か、がんばるよ!

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2011年8月 8日 (月)

父と暮せば

井上ひさしさん原作。原田芳雄さん、宮沢りえさん主演。
人って、亡くなってからもずっとこの世にエールを送り続ける力をもってますね。

「生きていることが申し訳ない。自分が幸せになったら罰が当たる。」
原爆で愛する人々と死別し、生き残りながらも、芽生える恋心に蓋をする娘。
「生き残ったことを申し訳なく思うは、病気ぞ。わしゃお前の恋の応援団長じゃ。恋を実らせ、家庭を築いて、幸せにならにゃあ…、原爆のむごたらしい体験を語り継いでいかにゃあ…。」
娘の幸せ想い、この世に現れて励ます父。


今日は、親父の命日。亡くなって20年。
人生はあっという間に過ぎていくということを実感できる歳になった。
この映画で感じたあの世からの愛情やメッセージは他人事でなく、見入ってしまった。

そして被災地から帰ってきたばかりの今。
原田さんの言葉は、戦争で生き残った方々、また、今回の震災で命に縁があった方々に対しても、やさしく、温かく、力強く、響くのではないかな、と思いました。

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2011年7月15日 (金)

ギョッ

夏が来たなあ。
と感じるポイントは人それぞれありますよね。
僕個人的には、風呂上りにいつも浴びる水がシゲキックスではなくなった時。これがひとつの大きなポイントなんですよね~。
6月はいくら暑い日でも、風呂上りの水がシゲキックス☆
でも、7月になってぬるくなっちゃいました。
ああ夏だ~。と思いました(笑)

さて。
最近のニュースは、見ててギョッとすることばかり。

ここ数日、「汚染牛」という言葉が出始めました。
ギョッとしましたよ。
この言葉に反応した人、けっこういるんじゃないかなー。
人間が食べるために飼育した牛が、人間が勝手に作った原発から出た放射性セシウムを浴びせられ食べさせられ内部被爆した上に、「汚染牛」と言われる。

人間にもその言葉使うことできるのか?って話です。

汚染牛を食べた人は、汚染人なのか。
セシウムがおしっこから検出された人は、汚染人なのか。

ものに対する考え方や捉え方は、言葉に表れてしまう。
もっと「命」を見つめれば、「汚染牛」なんて言葉は出てこないはず。

牛は「もの」じゃない。
人間と同じ、「命」ですよ。
人間のせいで被爆して、命あやめて食べもせず、牛さん本当にごめんなさい。が、本来の人間の感性なのでは。
人間が本当に傲慢で自分達中心になってしまっていることを表している言葉だと思う。

また別のニュースでも不思議な光景を見た。
とある水産工場でブランド活魚を〆る場面を小学生が見ている。
エラ近くに刃物が入って、ばたついていた活魚は一瞬にして…。
見学してる子供が100%みんな笑顔で、まずギョッとしまして。
工場長の子供への挨拶、そして子供の感想インタビュー。
工場長
「こうやって多くの人達が努力してブランドを守っていることを知って欲しい。」
子供
「ブランドを守ることは大切なことだと思った。かっこいいと思った。」

え~!?相手は小学生だよ。人間の努力やブランドの話しする前に、お魚の命の話しようよ。命の話すれば、お魚〆る時だって、何十人もみんなあんな笑顔ではいないと思う。お魚さんが完全に「もの」になっちゃってるよ。
大人側の責任って重大だと思った。
もちろん、そこでのやりとりはそれだけではなかったでしょう。
が。報道されたのがこの場面だけだったのは、僕は違和感ありでしたね~。

自分が人間として少なくともできること。
食べ物の中に命を意識して、手を合わせていただきますという感謝の気持ちで、必要な分だけいただくこと。
勉強させていただきましたー!

金子みすゞさんのように、動物や植物や地球の視点で人間の行い(自分の行い)を見たほうがいい時代なんだと思ってます。

時々見てるおもしろ不思議ブログにカラスの視点から人間の行いを書いた話があります。
「ゴミ袋を荒らされたくないなら、食べ物を残さないでほしいね。」
「人間だけで勝手に地球のルールを作るんじゃないよ。って言いたいね。」
「自分達人間が一番だと思っていやしないかい?」
僕は近所にバーベキュー場と東京都が仕掛けてるカラスの罠があるもので、この話は本当にそうだなあ、と痛感しました。

いつから人間は、自分達が地球で一番だ、って思い込んじまったんだろうネ。

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2011年6月14日 (火)

鼻の奥には

瓦礫を夢中で掘り返してたら、傍らには両親と姉がいました。
姉が「そうそう、その辺りにあると思う。」と言ってます。
しばらく掘ってガラス片や砂利にまみれて出てきたのは、○月○日と書かれた小さな記念の石盤。
「あったー!!」
みんなで喜びましたとさ…。

これ、岩手での最終日の夜に、寒い体育館で見た夢です。
夢に興奮したらしく、起きたら涙出てました。
どんだけ涙腺ゆるいんじゃ(笑)

実際に作業してる時、いろんな方の思い出の品が出てきたから、それがこの夢につながったんだと思います。

これがおもしろいことにただの夢ではなくてですね、○月○日って何か思い当たる?って母に聞くと、なんと両親の結婚記念日だった♪
うお~。
夢でしか会えない親父に、ひっっさしぶりに会えたしなー。
自分にとっては、ご褒美な感じの夢でした。

最近、割と夢をはっきり覚えていることが多くて、寝るのがちょっと楽しみだったりします。

そんで、最近、年取ったかなー。と実感することも増えてます。
涙腺がゆるくなった(笑)

チャリティコンサートの時も胸いっぱい、涙バケツもぎりぎりいっぱい。
コンサートと、岩手行きを経験して思うことですが、予期せぬ感動って自分に対する何にも変えられないご褒美だな、って思います。

人間の鼻の奥には人間愛センサーがついてるんだと思いますよ。
人間愛を感じるとき、人のやさしさに触れるとき、ツーンと反応しちゃうんですね。

震災以降、まだ大変な状況ではあります。
が、しかし!
見方を変えれば、何不自由なく恵まれていた状況では鈍っていたこのセンサーが、当たり前のことが当たり前でなくなった状況でより敏感に反応するようになり、人のつながりやありがたみを感じられる状況になっていると思います。

今日は、8月にコラボさせていただく朗読劇の台本をいただいて、読みました。人間愛についての3部作です。
やっぱり、ツーン…、涙が…(笑)
8月24~26日の朗読劇、めっちゃくちゃいい話です。
僕も意欲的に作曲したいと思っとります。
どうぞお楽しみに。

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2011年6月 9日 (木)

田園

鼻の皮がむけ、こんがり焼けた肌になりました。
健康的に痩せて、両腕の筋肉痛も取れ、ギターはすこぶる調子いいのですが、若干腰に鈍痛が。
無理したつもりはないんだけど、水分を含んだ畳と、大黒柱にやられたかも…(u_u。)

さて。
前回の岩手日記が、あるブログで耳の不自由な方へ向けた情報として紹介していただいてました。

「現地の様子がわかりますねえ。聴覚障害があるとなかなかこういう空気感がわかりません。」

はたと思ったのは、自分の音楽は、耳の不自由な方にとって、どれだけ役に立てるのだろう?ということ。
もし音を聴き取ることが難しい方にこのブログの言葉が少しでも役に立つのなら、本当にうれしいことだな。と思いました。
また、こうして紹介していただけると、うれしいものですね。
これからも音も言葉も大切に表現していかねば。と思います。

そういえば学生の頃、手話をある程度覚えたことを思い出したりもしました。
サークルで簡単な会話をできるようになったくらいで、もうほとんど忘れてしまいました。
指がきれいに伸びて、テキパキと形を変える先生の手を見て「かっこいいなあ」と思ったものです。

歌の歌詞は手話で表現できますが、インストの曲を手話で表現できたら素敵だろうなあ。インストの曲は絵とか光の方がいいかなあ。
そういう視点では、目の不自由な方に絵画や写真を伝えるのに、音楽で通訳できたりしないかな。
芸術を芸術に変換して、芸術通訳、みたいなものができるといいですね。
思いっきり通訳者の主観が入ってしまうと思いますが(笑)
ゴッホの絵は重厚に音を重ねたギター?ピカソの絵はコンテンポラリージャズかなー。

さてさて。
東北で撮った写真は、田園風景と山だけです。
被災地に出向いて、その光景を目の当たりにすると、知らないうちに心にショックを受けてしまいますが、ボランティアセンターの周りの田園風景に癒されてバランスが保てたような気がします。
新緑が美しかったです。
そして鳥のさえずりが、本当ににぎやかでした。
「ひばり」が鳴きながら天高く飛んでいく姿を初めてみましたが、本当に大きな声でにぎやかにさえずりながら飛ぶんですね。もちろん美空ひばりさんを思い出して口ずさみました。

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水田に空。奥の建物は馬の納屋。岩手には馬がたくさんいました。
友達になったモンゴル人「おいしそう~。」 「…えっ?!」
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新緑がきれい。

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遠野の水田。日本の原風景。

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あぜ道の花もきれいです。

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山の端に沈む夕日。

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2011年6月 5日 (日)

岩手日記

帰ってきましたー。

いろいろありました。
やはり自分一個人の力なんてちっぽけ。
でも、日本中、世界中からやってきた人たちと出会い、一緒に作業しました。
まだまだやることは山ほどある。
後ろ髪を引かれる思いで帰ってきました。
最終日は、先日のチャリティコンサートでご一緒した大船渡出身の熊谷絵美さんと再会し、音楽ボランティアのコーディネーターの方を紹介していただきました。
音楽でのボランティアもできる目途が立ちました。

今回は感じることが多すぎました。
情報、教えてもらったこと、感想を書いた日記をすこしまとめてみました。

個人でボランティアに行ってみたいけど、実際どんな感じなのかな?
と思われている方への情報として、少しでも役立てば、と思います。

ステップは簡単でした。
遠野まごころネットにインターネットで申し込み。
②地元の社会福祉協議会でボランティア保険に入る。
③装備品をそろえる。
④遠野まで行く。帰る。(僕は深夜バス「遠野・釜石号」利用。)

参考までに、費用ですが、装備品費、交通費(東京~遠野)、1週間の食費など全部合わせても2万5千円程度。

以下、日記をまとめたものです。

【遠野まごころネット】
・ボランティア参加者による自治活動。団体活動が主流の中、個人ボラの受入れ体制が充実。参加者200人前後、GWは800人いた。
・体育館を無料宿泊施設として解放(女性は和室)、広めのシャワー室が4室、清潔なトイレ、近くには食料品スーパー、ホームセンターなどあり、不自由なく活動できる。6時起床、22時就寝。リピーター多数。
・現場は、釜石、陸前高田、大槌での瓦礫撤去、家屋整理、泥だし。避難所での炊き出し。支援物資配給センターでの物資搬入、仕分け、被災者への案内フォロー。まごころネットでの受付、清掃、企画などの内勤。
・朝のミーティングで各現場の求人数とボランティアの希望をマッチング。それぞれバスで約一時間かけて現場へ移動。夜のミーティングで活動報告。

【参加者】
・1日参加もいれば、数ヶ月滞在の人も。年齢層は幅広く学生から定年を過ぎた方まで。女性参加者も多数。毎日が一期一会。
・北海道~九州各都道府県、台湾、モンゴル、中国、アメリカ、オーストラリア、ヨーロッパ諸国…、日本中、世界中から集まっている。海外から来て一ヶ月以上滞在する人も。人口比率、アクセス利便性を考えると、東京からの参加者はかなり少ない印象。
・海外の方々、口を揃えて「日本にお世話になった。日本に恩返しをしたい。」

【組織的取組み】
・倉敷市は自治体で早期に公民館借り切り、無料送迎でボランティアをシャトル体制で途切れなく。自治体の熱心な取り組みに驚く。中国地方各県からこの制度を利用してくるリピーター多数。
・会社で同様の取組みをしているところも多数。

【活動】
・ボランティアは自己責任、自己完結。謙虚に、させていただく。求めない。
・被災者に質問しない、話は傾聴する。
・無理しない。疲れたら休む。ノルマや就労ではない、それぞれにできることを無理なく安全に。

【被災地】
・言葉がでない、絶句。写真なんて撮る気持ちにならない。観光に来たんじゃない、ここは多くの方が命を落とされた現場。ただ合掌して冥福を祈った。
・釜石、陸前高田とも、市部は広大、数棟の鉄筋の建物以外、何もない。重機が入り整理は進んでいる。瓦礫が集められ10M超える山になっている。スクラップとなった車が野球場ほどの広さに集められている。防波堤は全壊。5階アパート5階部まで浸水。学校の3階には車が刺さったまま。報道されたままの光景。
・集落は道路以外、何も手が付けられていない。この現状が報道されていない。もっと人手がたくさん必要。
・東北地方の入り組んだリアス式海岸の入江にある小さな集落は数百にも及ぶ。丘を越える度に「次こそは普通の街の光景であって欲しい。」と思うが、行っても行っても同じ被災地の光景。涙がでる。
・瓦礫のさら地の中、希望を掲げる大漁旗と鯉のぼり。黙祷すれば、風の音、旗のなびく音、鳥のさえずりのみ。静けさを、こんなに悲しく感じたことはない。
・数日経つと、水田の中にひっくり返る車に違和感が薄れてしまう自分が怖くなる。
・学校のグランドや高台に仮設住宅、今だに避難所生活者10万人。

【瓦礫撤去】
・土砂、ガラス、材木(ほとんど全部、錆びた釘が突き出ている)、プラスチック、タイヤ、畳、屋根、バスタブ、ドラム缶、油、漁網、車、船、電柱、思い出の品…
・ロープや漁網と釘の突き出た材木が絡み合い、撤去は簡単ではない。水を吸った畳、布団は何倍も重くなり、悪臭を放ち、予想以上に大変。

【支援物資配給センター】
・支援物資は海外からのものが多く、種類は少ない。洗濯洗剤、塩、食用油はすぐになくなってしまう。支援米は、無償で送られてきた分はもうないという。今ある米は岩手県が購入したものということ。非常事でも2ヶ月過ぎれば経済優先なのか。
・そこから車で10分のところにあるスーパーには豊富に品物が販売されており、このギャップに、混乱してしまう。
・やってくる被災者家族、子供の屈託ない明るさと大人の疲れを感じる表情が対照的で、複雑な気持ちになる。

【ボランティア生活】
・遠野市から被災地まで約1時間。送迎バスで国際交流、アメリカからきたおばさんとオーバーザレインボーなど歌ったり、モンゴル人と恋愛トークをして心を和らげる。車窓から見える新緑、田園風景に癒される。
・被災地へ向かう途中、内陸20Kの川沿いの水田にウミネコ。東北ならではの光景か?と思いきや、その日の新聞に海岸の生態系変化でウミネコが内陸へ、の記事あり。沿岸部は生態系まで壊滅的ダメージ。
・近くの風呂屋は自衛官、ボランティアー、地元住民で芋洗い状態。
・体育館で震度3程度の余震数回。疲れた日は夜中気付かないことも。
・みんな疲れているためか、夜中はいびきや寝言が体育館に響く。また午前3時30分から明るくなり始める。耳栓、アイマスクは必要アイテム。
・活動2日目は最低気温4℃。ほとんど眠れない。毛布を寝袋の上からかけて、やっと眠れる。
・働いて、汗かいて、飯食って、シャワー浴びて、本読んで、寝る。シンプルな生活は心身洗われるように感じる。
・体力的に一番使うところは、握力と背筋力。次回来るときは事前準備の鍛え方を変える。

【地元の方の言葉】
ボランティア先の明るかったおばさん
「あたすたつも津波なんて見るのはづめてだからよぉ、最初はこっから津波さ見てたんだぁ。真っ黒でさぁ、津波って、こんなに勢いがすげぇんだなって。まさかこっちに来るなど思いもしねえでさ。そうしたらこっちにも来るってんで高台さ逃げたのさ。何時間かして帰ってきたら、まさかだよ!こんな場所なのに一階が水浸しで船や車や流されて来てるでねえか…。わたすんとこはまだ家があるからいいけんど、あすこらは家も人も流された。あすこでもそこでも、人、見つかったんだぁ…。んで、(陸前高田)市内のわたすの里も流されたんだぁ。もう涙がとまらねぇの。なーんにもねえんだもん。なーんにも…。もうこんただ悲しい思いはしたくねえさ。」

柳田國男さんの義娘・冨美子さん
「戦後の日本は何もありませんでしたよ。支援物資もボランティアもなかったの。でも自分達の力で、あの状態から立ち直ったんですからね。日本人はすごいのよ。ただ、今回思うのは…みなさん、贅沢慣れしてしまったのかしら、あまり元気がないように思いますわ。昔の人は何もなくてももっと元気があったのよ。だからみんな元気出して日本人の底力を見せて欲しいと思います。」(詳しい内容はコチラ

住田町農協の職員さん
「今でも信じられない。高田には、あれから1回しか行っていない。行く気になれない。自分も20分避難が遅かったらやられてた。沿岸部から3キロ内陸へ流されて、引き波で5キロ流されて足が着くところにたどり着いて助かった人もいる。命の縁って何なんだろう。」

熊谷さん
「地震が起きて、数日間停電だった。でもテレビで津波による惨状を見られなかったからこそ気持ちが耐えられたという面があるかもしれない。ラジオからは、泣きながら状況を伝える声が聞こえていた。ところで、真辺さんのCDのジャケットは、陸前高田の街に似ているんですよ。高田、とってもいい街だったんです。」

風呂屋での陽気なおっちゃん
「あんれぇ、にいちゃんさわやかだなぁ、めんこいよめっこさぁ、見つけてけぇれぇ。」


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7時過ぎ。ワラワラと人が集まってきて、朝礼、現場と人のマッチングが行われる。

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宿泊した体育館。

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夕方の活動報告。

最近は、原発の報道ばかりが先にたち、津波被災地の復旧が置き去りにされている感があります。被災地の状況は、復興なんて段階ではありません。復旧の段階です。特に集落部はまだ全く人手が入っていないところが多く、まだまだたくさんの人手が必要に思いました。
恐れているのはニュースでも伝えられているこういった状況です。

もし行ける機会がある方は、直接、目、耳、鼻、肌でこの被災地を感じて欲しい。
そして感じたことをまわりに伝えていくことで、長期的な支援が継続されていくのではないでしょうか。

次回は、心を癒してくれた岩手の美しい田園風景を紹介したいと思います。

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2011年4月11日 (月)

デモ行進

昨日は芝居の稽古場へ移動中、高円寺付近の青梅街道で原発反対デモ行進に遭遇しました。ツイッターで情報が広がったようで、かなり多くの人が参加されていました。女装やコスプレで?な人もいましたが。
ひとりひとりが考えて、行動に移し始めてますね。

大地震から1ヶ月。
今回の大地震は、さまざまな価値観を見直すきっかけになってますが、原発関連もそのひとつ。
人間が近づけないものを扱ってる。
単純に考えて、もともと人間が扱える代物なのかどうか。

でも、そんなシステムの恩恵に預かって得た電力を使っていた自分。
福島の危険な現場で働いている人には頭が上がりません。
どうかみんな無事なまま、早く安定した状態に進んでほしいです。

デモ行進見て、節電を経験した人々が今までの便利社会から節電当たり前の社会に移る覚悟を持ち始めてるように思いました。
風力や太陽光のクリーンエネルギーで節電社会に移りたいとみんな思ってますよね。

社会の流れも考えようで、
便利 → 不便
でなく
行き過ぎ → 当たり前
なのかもです。

夜の地球を撮影すれば、煌々とくっきり浮かび上がる日本。
今の暗い渋谷だって、充分明るいと思います。

災害の想定。という言葉も、地球から生まれた人間が地球の力を推し量るなんて、それ自体が人間の傲慢なのかもしれません。

人間は、地球や自然に対してもっと謙虚で、共存しないといけない存在。自然が荒ぶっている理由も、現代に生きている人で心当たりの無い人はいないんじゃないでしょうか。理由の元にはやっぱり人間の行いがあると思う。

熱波、豪雨、洪水、竜巻、寒波、豪雪、巨大台風、巨大地震…
ここ十数年の流れを見れば、今後もしっかり地球や自然の声に耳を傾けながら、覚悟を決めて生活せねば。これからの時代、覚悟が必要と思ってます。

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