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2011年6月 5日 (日)

岩手日記

帰ってきましたー。

いろいろありました。
やはり自分一個人の力なんてちっぽけ。
でも、日本中、世界中からやってきた人たちと出会い、一緒に作業しました。
まだまだやることは山ほどある。
後ろ髪を引かれる思いで帰ってきました。
最終日は、先日のチャリティコンサートでご一緒した大船渡出身の熊谷絵美さんと再会し、音楽ボランティアのコーディネーターの方を紹介していただきました。
音楽でのボランティアもできる目途が立ちました。

今回は感じることが多すぎました。
情報、教えてもらったこと、感想を書いた日記をすこしまとめてみました。

個人でボランティアに行ってみたいけど、実際どんな感じなのかな?
と思われている方への情報として、少しでも役立てば、と思います。

ステップは簡単でした。
遠野まごころネットにインターネットで申し込み。
②地元の社会福祉協議会でボランティア保険に入る。
③装備品をそろえる。
④遠野まで行く。帰る。(僕は深夜バス「遠野・釜石号」利用。)

参考までに、費用ですが、装備品費、交通費(東京~遠野)、1週間の食費など全部合わせても2万5千円程度。

以下、日記をまとめたものです。

【遠野まごころネット】
・ボランティア参加者による自治活動。団体活動が主流の中、個人ボラの受入れ体制が充実。参加者200人前後、GWは800人いた。
・体育館を無料宿泊施設として解放(女性は和室)、広めのシャワー室が4室、清潔なトイレ、近くには食料品スーパー、ホームセンターなどあり、不自由なく活動できる。6時起床、22時就寝。リピーター多数。
・現場は、釜石、陸前高田、大槌での瓦礫撤去、家屋整理、泥だし。避難所での炊き出し。支援物資配給センターでの物資搬入、仕分け、被災者への案内フォロー。まごころネットでの受付、清掃、企画などの内勤。
・朝のミーティングで各現場の求人数とボランティアの希望をマッチング。それぞれバスで約一時間かけて現場へ移動。夜のミーティングで活動報告。

【参加者】
・1日参加もいれば、数ヶ月滞在の人も。年齢層は幅広く学生から定年を過ぎた方まで。女性参加者も多数。毎日が一期一会。
・北海道~九州各都道府県、台湾、モンゴル、中国、アメリカ、オーストラリア、ヨーロッパ諸国…、日本中、世界中から集まっている。海外から来て一ヶ月以上滞在する人も。人口比率、アクセス利便性を考えると、東京からの参加者はかなり少ない印象。
・海外の方々、口を揃えて「日本にお世話になった。日本に恩返しをしたい。」

【組織的取組み】
・倉敷市は自治体で早期に公民館借り切り、無料送迎でボランティアをシャトル体制で途切れなく。自治体の熱心な取り組みに驚く。中国地方各県からこの制度を利用してくるリピーター多数。
・会社で同様の取組みをしているところも多数。

【活動】
・ボランティアは自己責任、自己完結。謙虚に、させていただく。求めない。
・被災者に質問しない、話は傾聴する。
・無理しない。疲れたら休む。ノルマや就労ではない、それぞれにできることを無理なく安全に。

【被災地】
・言葉がでない、絶句。写真なんて撮る気持ちにならない。観光に来たんじゃない、ここは多くの方が命を落とされた現場。ただ合掌して冥福を祈った。
・釜石、陸前高田とも、市部は広大、数棟の鉄筋の建物以外、何もない。重機が入り整理は進んでいる。瓦礫が集められ10M超える山になっている。スクラップとなった車が野球場ほどの広さに集められている。防波堤は全壊。5階アパート5階部まで浸水。学校の3階には車が刺さったまま。報道されたままの光景。
・集落は道路以外、何も手が付けられていない。この現状が報道されていない。もっと人手がたくさん必要。
・東北地方の入り組んだリアス式海岸の入江にある小さな集落は数百にも及ぶ。丘を越える度に「次こそは普通の街の光景であって欲しい。」と思うが、行っても行っても同じ被災地の光景。涙がでる。
・瓦礫のさら地の中、希望を掲げる大漁旗と鯉のぼり。黙祷すれば、風の音、旗のなびく音、鳥のさえずりのみ。静けさを、こんなに悲しく感じたことはない。
・数日経つと、水田の中にひっくり返る車に違和感が薄れてしまう自分が怖くなる。
・学校のグランドや高台に仮設住宅、今だに避難所生活者10万人。

【瓦礫撤去】
・土砂、ガラス、材木(ほとんど全部、錆びた釘が突き出ている)、プラスチック、タイヤ、畳、屋根、バスタブ、ドラム缶、油、漁網、車、船、電柱、思い出の品…
・ロープや漁網と釘の突き出た材木が絡み合い、撤去は簡単ではない。水を吸った畳、布団は何倍も重くなり、悪臭を放ち、予想以上に大変。

【支援物資配給センター】
・支援物資は海外からのものが多く、種類は少ない。洗濯洗剤、塩、食用油はすぐになくなってしまう。支援米は、無償で送られてきた分はもうないという。今ある米は岩手県が購入したものということ。非常事でも2ヶ月過ぎれば経済優先なのか。
・そこから車で10分のところにあるスーパーには豊富に品物が販売されており、このギャップに、混乱してしまう。
・やってくる被災者家族、子供の屈託ない明るさと大人の疲れを感じる表情が対照的で、複雑な気持ちになる。

【ボランティア生活】
・遠野市から被災地まで約1時間。送迎バスで国際交流、アメリカからきたおばさんとオーバーザレインボーなど歌ったり、モンゴル人と恋愛トークをして心を和らげる。車窓から見える新緑、田園風景に癒される。
・被災地へ向かう途中、内陸20Kの川沿いの水田にウミネコ。東北ならではの光景か?と思いきや、その日の新聞に海岸の生態系変化でウミネコが内陸へ、の記事あり。沿岸部は生態系まで壊滅的ダメージ。
・近くの風呂屋は自衛官、ボランティアー、地元住民で芋洗い状態。
・体育館で震度3程度の余震数回。疲れた日は夜中気付かないことも。
・みんな疲れているためか、夜中はいびきや寝言が体育館に響く。また午前3時30分から明るくなり始める。耳栓、アイマスクは必要アイテム。
・活動2日目は最低気温4℃。ほとんど眠れない。毛布を寝袋の上からかけて、やっと眠れる。
・働いて、汗かいて、飯食って、シャワー浴びて、本読んで、寝る。シンプルな生活は心身洗われるように感じる。
・体力的に一番使うところは、握力と背筋力。次回来るときは事前準備の鍛え方を変える。

【地元の方の言葉】
ボランティア先の明るかったおばさん
「あたすたつも津波なんて見るのはづめてだからよぉ、最初はこっから津波さ見てたんだぁ。真っ黒でさぁ、津波って、こんなに勢いがすげぇんだなって。まさかこっちに来るなど思いもしねえでさ。そうしたらこっちにも来るってんで高台さ逃げたのさ。何時間かして帰ってきたら、まさかだよ!こんな場所なのに一階が水浸しで船や車や流されて来てるでねえか…。わたすんとこはまだ家があるからいいけんど、あすこらは家も人も流された。あすこでもそこでも、人、見つかったんだぁ…。んで、(陸前高田)市内のわたすの里も流されたんだぁ。もう涙がとまらねぇの。なーんにもねえんだもん。なーんにも…。もうこんただ悲しい思いはしたくねえさ。」

柳田國男さんの義娘・冨美子さん
「戦後の日本は何もありませんでしたよ。支援物資もボランティアもなかったの。でも自分達の力で、あの状態から立ち直ったんですからね。日本人はすごいのよ。ただ、今回思うのは…みなさん、贅沢慣れしてしまったのかしら、あまり元気がないように思いますわ。昔の人は何もなくてももっと元気があったのよ。だからみんな元気出して日本人の底力を見せて欲しいと思います。」(詳しい内容はコチラ

住田町農協の職員さん
「今でも信じられない。高田には、あれから1回しか行っていない。行く気になれない。自分も20分避難が遅かったらやられてた。沿岸部から3キロ内陸へ流されて、引き波で5キロ流されて足が着くところにたどり着いて助かった人もいる。命の縁って何なんだろう。」

熊谷さん
「地震が起きて、数日間停電だった。でもテレビで津波による惨状を見られなかったからこそ気持ちが耐えられたという面があるかもしれない。ラジオからは、泣きながら状況を伝える声が聞こえていた。ところで、真辺さんのCDのジャケットは、陸前高田の街に似ているんですよ。高田、とってもいい街だったんです。」

風呂屋での陽気なおっちゃん
「あんれぇ、にいちゃんさわやかだなぁ、めんこいよめっこさぁ、見つけてけぇれぇ。」


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7時過ぎ。ワラワラと人が集まってきて、朝礼、現場と人のマッチングが行われる。

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宿泊した体育館。

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夕方の活動報告。

最近は、原発の報道ばかりが先にたち、津波被災地の復旧が置き去りにされている感があります。被災地の状況は、復興なんて段階ではありません。復旧の段階です。特に集落部はまだ全く人手が入っていないところが多く、まだまだたくさんの人手が必要に思いました。
恐れているのはニュースでも伝えられているこういった状況です。

もし行ける機会がある方は、直接、目、耳、鼻、肌でこの被災地を感じて欲しい。
そして感じたことをまわりに伝えていくことで、長期的な支援が継続されていくのではないでしょうか。

次回は、心を癒してくれた岩手の美しい田園風景を紹介したいと思います。

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コメント

偉い! 本当に偉い!
ありがとう! 本当にありがとう!

街の瓦礫が綺麗になったら、次はの心の瓦礫を音楽で片付けて綺麗にしてあげて下さいませ。

投稿: ごんべ | 2011年6月 8日 (水) 18:37

☆ごんべさん
いいえ、とんでもない!
自分は好き勝手に行っただけです。
まっったく偉くなんかないです。
ただ、東北には偉い人がたくさんいました。被災していても気丈で、人の配慮までできる方。黙々と自分のやるべき作業に励むサムライのようなボランティア。
そして、感謝の気持ちという面では、僕も海外から来た人達に「日本のためにありがとう!」と感謝の気持ちをたくさん伝えました。また、市街地を大きな荷物で歩いていると「ボランティアさん?おつかれさま!ありがとう。」と声をかけられたり。
ありがとうのいい連鎖があったように思います。
瓦礫撤去にしてもギターにしても、これからもできることを続けていきたいと思ってます!

投稿: 学べえ | 2011年6月 8日 (水) 23:13

生の声を聞かせてもらいありがとうございました。
そっか…関東の人はもう過去のことなのかな。
避難している方10万人という事実。
報道とは何か。
何を頼ればいいのか、何が大切なのか。
毎日毎日考えます。

投稿: マツーラ | 2011年6月 8日 (水) 23:39

☆マツーラさん
こちらこそ、震災支援に便乗するような輩のお話など、勉強させていただきましたm(_ _)m
今回のことは、他人事ではない気持ちが強いです。
現代日本、もっとみんなできることあるんじゃないか、って思います。
体育館や公民館などの避難所生活者だけで10万人、仮設住宅や個人宅に避難された方を含めればもっともっとなんですね。
僕も毎日考えて、できることを行動に移していきたいと思います!

投稿: 学べえ | 2011年6月 9日 (木) 10:08

時間が経っているだけで状況は変わっていないんだね。
自分も反省するところです。本当にお疲れさまでした。
現地での作業、現況のレポ、何よりも君のキモチ。
上手く表現できないけれど、もろもろ学べえクンに感謝します。

投稿: Goro | 2011年6月10日 (金) 22:39

☆Goroさん
いえいえ、反省なんてそんな。
いろんな意見をいただいて、気持ちは現地へ飛んでいきたくても、行けない状況の方が多くいらっしゃることを感じます。
我先に!の時代でしたが、今こそ電気もお金も労力も分け合うその時が来たのかな。と思います。
被災地はすごい数のトラックと重機が行きかって瓦礫を運んでますが、まだ市部のみです。整理は確実に進んではいますが、被害が甚大、広大過ぎて、集落はまだまだです。
できる人ができることをやっていくのがベストだと思いますので、幸か不幸か?忙しくない僕はまた機会を見つけて行きたいと思ってます!
この記事を見て、自分も行けるかも、と思ってくれる方が一人でもいてくれたらいいな、と思ってます。

投稿: 学べえ | 2011年6月11日 (土) 13:09

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